心理職でもできる資産形成と運用

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FP×心理Thによる資産にまつわるアレコレのお話

知らないと損!心とお金の意外な関係!?

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リヒト(@r2209)です。
今日は、そもそも論っぽい話になっちゃいますけど、「お金って何だっけ?」ということを、その歴史から考えてみたいと思います。

 

お金って、欲しいものを手に入れるための物じゃないんですか?

 

いやまあ、そうなんだけどね。
でも、少しそれとは異なる観点から考察してみたいんだ。意外と僕たち心理カウンセラーだからこそみえてくるものがあるんじゃないかと思ってね。

 

心理カウンセラーだからこそみえてくるもの???

 

 

「お金」とは?

お金とは、何でしょうか?

 

お金とは、とても不思議なものです。

物と交換する道具であり、またある時はそれ自体が商品になることもあります。

物質があることもあるし、データ化されもはや現物がないこともあります。

 

一万円が本当に一万円の価値があるかどうかもわかりません。

一万円札の原価はわずか20円程度であり、本来一万円札を一万円で買うと言う行為はよくよく考えると馬鹿げた行為です。

しかし、僕たち皆が「この一万円札には一万円の価値があることにしよう」と恣意的に決定しているからこそ、その行為を誰も馬鹿げた行為とは定義しないのです。

 

とはいえ、為替の影響も受けます。経済状況(インフレやデフレ)の影響も受けます。

その度に、お金の価値は変動もします。

 

 

……当たり前のことをつらつらと書きましたが、実は相当不思議なことですよね。

お金って、何なんでしょうか?

 

 

お金の歴史

お金が誕生する前の様子から考えてみましょう。

 

もともと、お金が誕生する前、人は物々交換をすることで欲しいものを手に入れていました。

魚がとるのがうまい人は魚を持参し、野菜を育てることがうまい人と交換したのです。

 

しかし、これにはいくつか問題があります。

 

野菜を育てる人に「魚はいらない」と言われてしまうと、魚をとるのがうまい人は野菜を手に入れることが出来ないのです。

 

また、魚と野菜の価値が本当に等価かどうかわかりません。

等価の物同士だからこそ、物々交換が成立するのです。

 

 

ではどうしたらいいか。

 

「お金で物を交換したら良い」

 

と、思いました?

 

実はまだ、お金は誕生しないのです。

 

 

皆が欲しいものは何だ?

魚と野菜では、等価かどうかわかりません。それは必要なときと不必要なときがはっきりと分かれるからです。

 

野菜が食べたい気分の日もあれば、魚が食べたい気分の日もあるのですから、そうなるのは当然ですよね。

 

では、どうするか。

魚と野菜の交換は「必要じゃないときがあるから」うまくいかないでした。

なら、皆が必要とする物と交換すれば、そういう変動のリスクを避けることが出来ます。

 

さて、皆が必要とする物って何でしょうか?

 

「お金」

 

いや、ここでもまだお金は誕生しません。

 

 

当時、皆が必要とした代表的な物。その一つが、塩です。

 

塩は食品を加工したり、保存したいときに必要不可欠です。野菜だろうが魚だろうが塩は使います。

 

ですので、魚を持っていて野菜が欲しい人は、まず魚を塩と交換し、その塩を更に野菜と交換したのです。

 

このように、ある一定の価値がある物と本来欲しい物を交換することを「物品交換」といいます。

 

ちなみに、知っている方も多いと思いますが、サラリーマンのsalaryは塩を意味するラテン語(サラリウム salarium)から来ています。

また、漢字には、財や貨、貯など貝の字が使われているお金に関するものが多いですが、これは中国では貝が物品交換に使われていたからです。

 

 

しかし、物品交換にも欠点がありました。

それは塩や貝は自分で作ったり、とってきたりが出来てしまうということです。

「だったら自分で塩とってくるわー」となると、自分が入手しやすい物(魚)と塩は手に入りますが、自分では入手しにくい物(野菜)は手に入りにくくなります。

 

そこでようやく生まれたのが…

そう。お金です。

 

 

……と言いたいところですが、まだお金は誕生しません。

 

 

もともとお金は「心」だった

塩や貝は自製できてしまうので、需要と供給のバランスがすぐに崩れてしまいます。

ではどうしたら、このバランスを保つことが出来るのでしょうか?

 

それは、「信用」でした。

人々は、お互いの信用を「記帳」することで記録し、それに基づいて取引を行うことにしたのです。

 

「今日、あなたに魚を二匹譲りました。あなたは野菜を持ってきたけど、今はいりません。欲しくなったときに、魚二匹分の野菜をくださいね」

 

という信用に基づいた約束を取り交わしたのです。

 

こうすれば、お互いが必要なときに持っている物で必要な物を交換することが出来ます。

「クレジットカード」のクレジットは「信用」という意味ですよね。このことが起源になっています。

 

 

ただ、この「信用」にも欠点がありました。

 

そう、「裏切られる」ということがあるのです。

 

もちろん、わざと裏切ることもありますが、

「野菜が欲しい」と思ったときに、必ずしも野菜が手に入るとは限らず「どうして自分は魚が欲しいと言われたときにあげたのに、自分が野菜が欲しいときにはくれないんだ」と期待が裏切られることもあります。

 

 

貨幣は文明の発展を促した

このような、悪意にせよ善意にせよ、裏切りを避けるために生まれたのが、貨幣でした。

貨幣であれば、自製は出来ませんし、腐ることもありませんので大変に便利です。

 

貨幣はある意味「物品交換」と「信用」の間の子です。

つまり、貨幣と欲しい物を交換する際、「この貨幣はこのくらいの価値」「魚一匹とこの貨幣一個は等価」というお互いの信用を統一しておくのです。

 

 

これは、「魚を一匹とる能力は、この貨幣一個分と同じ」と言っているのと同じです。

つまり、お金とは本来、人の能力のステータスを示す尺度であり、その能力への信用でもあったということです。

 

僕たちがお金を得ること“だけ”を目的にすることを「卑しい」と感じるのは、本来持っている能力や信用以上の物を得ようとしていることへの嫌悪感だったのです。

 

しかし、お金を正当な対価として得ているのであれば、それはそれだけの能力や信用を勝ち得ているということ、

他人の能力を認めその人を信用していること

への証なのであり、むしろ誇らしい気持ちを抱いても良い物だったのです。

 

人は、自分の能力の向上あるいは人と人との信用を勝ち得るためにはいくらだって努力が出来ます。

 

この努力こそが、経済活動に繋がり、文明を発展させていくことに繋がりました。

 

お金の誕生は、文明の発展にも大きく寄与していたのです。

 

 

改めて「お金」とは?

お金とは、何でしょうか?

こうやって歴史をひも解いてみると、お金は単に欲しいものを手に入れる手段ではなかったんだ、ということがおわかりになるかと思います。

 

本来、お金とは信用だったのですね。その信用はそれぞれの良さを持ち寄ったときに生まれるものだった。

 

こう考えると、「お金を稼ごう」というのは、「自分の出来ることをして、人の役に立とう」「そうやって皆で助け合って、皆で幸せになろう」ということを意味していたんだと考えることが出来ます。

 

 

以前もこのブログで述べたことですが、僕が思うに、心理カウンセラーはお金の話をタブーにしてきました。

それは、「情緒的な問題に金銭を介在させてはならない。心理臨床は情緒的な営みである。故にお金の話をしてはいけない」という価値観が強くあるからだと思います。

 

 

しかし、お金はもともと心だったのです。信用だったのです。相互ケアだったのです。

それでもやはり、お金の話を介在させるのはタブーでしょうか?

 

僕にはそう思えません。

 

皆さんはどう考えますか?

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!