心理職でもできる資産形成と運用

心理職でもできる資産形成と運用

FP×心理Thによる資産にまつわるアレコレのお話

文化的進化論

文化の発展過程を、生命の進化の過程と重ね合わせることで本質的な傾向をつかもうとしています。 

 

 

そもそも文化的進化論とはなんでしょうか?

本書によれば、

経済的、身体的に不安定だと排外主義、内集団内の強い結束、権威主義的な政治や集団の伝統的な文化的規範を厳守する傾向などにつながり、反対に安泰な状況下では外集団への寛容さが増し、新しい考え方を受け容れやすく、社会的規範はより平等主義的になるとする理論だ。

P9 

 とのことです。

 

本書は広く文化的なこと論じているもので、ある特定の業界のことを指し示しているものではありません。当然、心理職のことを指摘しているなんてことは一切ありません。

 

しかし、物事の本質的なものをよくよく観察してみると、そこには共通するものが見えることはよくあることです。

これをフラクタル構造と言ったりもしますが、上記引用箇所はまさしく、文化的なことであると同時に、僕たち心理職のことと考えて読むことも可能でしょう。

 

僕たちは心理職の風土はどこか閉鎖的です。

臨床心理士持ちの公認心理師 vs 臨床心理士を持っていない公認心理師の対立などはその典型で、どうしても「内と外」という対立構造に陥りがちです。

自分たちと異なる集団に対して、どこか非寛容なところもあります。

 

急いで付け足しますが、このような対立はある意味では、それだけ仕事に真摯に向き合っているからこそなのです。

僕たち心理カウンセラーは、クライエントのことを第一に考えるのです。

第一に考えるがゆえに、僕たち心理カウンセラーは己の信じた「これが将来、クライエントの役に立つことなのだ」という強いストーリーを抱き、そのために邁進します。

多かれ少なかれ、心理カウンセラーになるような人たちはそう思っていると思います。

 

ですから、自分が信じたストーリーと異なるストーリーでクライエントに向き合おうとしている人を見ると、自分の信じたことが正しかったのかどうかの信念が揺さぶられる体験となるので、不安になるのです。

この不安が、時に対立を生むエネルギーへと形を変えてしまうのです。

 

もちろん、いくら強い意思で自分の信じるストーリーを生きているからといって、その強さを外集団と対立するエネルギーへ変換してもよい理由にはなりません。

対立にエネルギーを使う人は、やはり、どこまでいっても心理カウンセラーとしてはかなり未熟なのです。

 

ですが、一人間としてみたとき、そういう人を全面的に拒絶しきれない感覚もどうしても僕には残ります。

なぜなら、上記した引用にもあるように、僕たち心理職の業界は「経済的、身体的に不安定」だからです。このような業界の中にあって、もがき苦しむ姿は、何とも人間臭く感じるのです。

 

問題があるとしたら、「経済的、身体的に不安定」な構造にこそあるでしょう。

 

本書にも記載がありますが、「経済的、身体的に不安定」だと、生存への安心感が得られないので、生き残りに必死にならざるを得ないのです。

異質なものはそれだけ生存を脅かす存在になりえるのですから、排他せねばならないという心理が働くのも無理もないことでしょう。

 

だとするなら、無駄な対立にエネルギーを注ぐのではなく、そのエネルギーを業界の不安定な構造を是正するために使う方がよっぽど生産的でしょう。そのためには対立よりも協力が必要ですね。

 

 

閑話休題

大幅に本書の内容から逸れてしまいました。すいません。内容に戻りましょう。

 

 

本書の主旨は以下のようなものです。

生存への安心感が高いレベルに達すると、論理的で予測可能性を重視する社会へ変化し、脱物質主義的価値観や自己表現重視(言論の自由など)の価値観へとシフトする。

 

しかし、価値観が変化した層は全体から見たら少数なので、性急に社会が変化するのではなく、数十年のタイムラグがある。 

 

 ・かつて若者だった者達が成長し、人口における新たな価値観を持った者達の割合が増え、旧式の価値観を持った者の人口を上回ると非常に早いスピードで文化が変化していく。

 

というものです。

こうやってまとめてしまうと、なんともまあ、当たり前の話でしかないですよね。

しかし、本当にそうなのかをしっかりと実証データをもとに考察したのが本書の大きな役割となっています。

 

例えば、西ヨーロッパ6ヶ国で若者と高齢者とに、物質主義的価値観と脱物質主義的価値観に差があるかを調べてみた結果、とても面白いことがわかりました。

65歳以上の層では物質主義的価値を重視する人は脱物質主義的価値観を重視する人の14倍を超える。

P28

ということがわかったのです。

つまり、高齢者のほとんどは物質主義的価値観を有しており、若者の持つ脱物質主義的価値観とはまったく異なる価値観を持っている傾向が非常に高いのです。

 

「最近の若い者は」という若者をあざ笑う台詞は古代ギリシャ時代からある、なんて言われますが、これだけ世代間で価値観に違いが出るのであればそれもうなづけますね。高齢者と若者の話が合わないのは、むしろ必然とさえ言えそうです。

 

 

 ただ、このように納得できるデータと考察がある一方で、「どうかな?」と疑問に思うところもしばしばあります。

 

例えば、本書によると

今日では、明らかに経済発展が原因で民主化が結果だと思われている。

P121 

とのことなのですが、中国などは経済発展目覚ましいですが、民主化されたという声は聞きません。

 

また、

中国の人々の自己表現重視の価値観は、チリ、ポーランド、韓国、台湾が民主主義に転じた際のレベルに近づいている。

P142

とありますが、中国は元々「中華思想」ですから、自己表現重視の価値観を持っています。

 

本書は全体的に、物事を二項対立の軸で論じているのですが(物質主義 vs 脱物質主義、高所得国 vs 低所得国など)、これだと平均への回帰が起きている時に誤った解釈をしてしまうリスクがあります。

つまり、「AだったものがBに近づいた」ように見えるものも、単に「Aが極端により過ぎていたので、それが落ち着いてきて平均に回帰してきただけ」ということもあるのです。

 

人間の思考は物事を単純化させやすく、二項対立させて差異を見いだそうとするのはその典型です。
ただ、それは複雑な世界を素早く処理するための合理的な方法論であり、研究に持ち込むのは控えめにするべきでしょう。

 

そういった意味では、著者は結論に飛びつくのがやや勇み足の感が否めません。

個人的にはファクトフルネスの方が圧倒的に優れたデータと考察であったと思います。

扱っているテーマはもちろん違いますが、もし本書を読む場合は、ファクトフルネスを先に読んで批判的思考を養ってからをお勧めします。

 

編集後記文化の発展を時の必然に終わらせず、数十年にも及ぶデータをもとに客観的に考察する本書の役割は大きいと思います。
文化を作るのは人間であり、フラクタル構造が成り立つと考えれば、文化というマクロの視点を日常生活というミクロな視点にスライドさせて検討する助けとなるでしょう。
実際、本書のサブタイトルは「人びとの価値観と行動が世界とつくりかえる」です。
もし、何か世界に不満があるのなら、所属する組織に変えたいところがあるのなら、ただそれが変わるのを待つのではなく、僕たち一人ひとりが具体的な行動をとっていく必要があるのです。