相談援助職の「伝わる記録」
伝わらない記録は「伝わらない」ことだけが問題なのではありません。その記録で伝わらなかった支援は「やっていないこと」と判断されてしまうのです。
以前Twitterで読んでいることを報告したら、興味を持ってくださる方が結構おられましたので、詳しめにレビューします。
今はこちらを読んでます。
— 小野寺リヒト (@r2209) September 13, 2019
ハッキリ言います。これは絶対に買って読んでください。
分かりやすい記述を書くコツとか、そんな薄っぺらい内容じゃないです。どんな支援をしているかを対外的に示す、知らないとマジでヤバイ記録の書き方です。
【相談援助職の「伝わる記録」】https://t.co/PHZJY75fwN pic.twitter.com/Kf8JUqKbxQ
本書はただ、「まとまりのよい読みやすい記録」を書くためのマニュアルではありません。
それよりもずっと本質的なことが書かれています。
まずは、「何の為に」「誰のために」記録を書くのか、をおさえることが重要です。
「何の為に」「誰のために」と聞かれて、皆さんだったらどんな事柄をイメージしますか?
「支援を客観的に振り返るため」
「自分のため」
色々答えがあると思います。そして、それらに不正解だというものはないでしょう。
しかし、記録をまとめる上で絶対に忘れてはいけないことがあります。
それは、
「これ」と思った判断ですべての情報の説明がつくか、自分の取った対応や介入が判断に合っているか説明がつくか、専門家として取ったアクションの裏付けを記録に残すこと
P11
であり、
第三者に読まれるため
P11
という視点です。
「そんなの当たり前じゃないか」と思われた方もいらっしゃるかと思います。
ですが、当たり前のことであると思えることと、できているかどうかはまた別問題です。
本当に自分は上記を意識した記録が書けていると自信を持って言えますか?
正直に言います。
僕は「できている」と思っていました。そう、本書を読む前までは。
本書には、
「利用者、家族、弁護士」や「裁判官、裁判員」も読むかもしれない、という気持ちで記録を書くよう、意識していただきたいと思う。
P11
とありますが、僕は法曹関係者に資料を提出するかもしれない、という意識が低かったように思うのです(一度提出した経験があったにも関わらず。。。喉元過ぎればなんとやらです。反省しないといけないですね)。
要は「開示請求にも堪える記録」である必要性がある、ということです。
開示請求権が公に知られるようになり出した昨今、今後その必要性は高まっていくことでしょう。
ここまで読んでもまだ、「いやいや、そんなの常識でしょ」と思っている方もおられるでしょう。
では、こちらを読んでみていただけますでしょうか?
僕はここを読んで正直ゾッとしました。
以下に記述するのは高齢者虐待の疑いがあるケースの記録です。
息子が「私が怒りすぎるのかもしれないけど、甘やかしてもいられないから。『アメとムチ』ですよ」と言う。以前内出血ができて、息子が自分から「私がつねった」と話した折りに、虐待の話をしたことが念頭にあってか非常に防衛的で、今回は知らないうちにできた傷だという主張を頑として変えない。(以下略)
P46
この記録は「修正を受ける前」の記録です。つまり、この記述ではまだ不十分なところがある、ということです。
一体どこに問題があるのか、わかりましたか?
では、今度は修正例をお示しします。
息子が「私が怒りすぎるのかもしれないけど、甘やかしてもいられないから。『アメとムチですよ』と言う。「ムチとは?」と尋ねると、「言葉のアヤです」と答えた。
以前内出血ができた際は、息子が自分から「私がつねった」と話した。今回は知らないうちにできた傷だと息子は主張し、本人も自傷行為を否定したため、経緯は不明で、再発予防が困難である。息子は介護で疲弊している様子である。
P47
どうでしょうか?
修正例では明確に「リスクと思われる言動に対して介入したこと」を記載しています。
【「ムチとは?」と尋ねると】の部分ですね。
ここがとっても重要なポイントです。
この修正前の記録を書いた支援者が、仮に「ムチとは?」と尋ねていたとしても、記録にそのことが書かれていなかった場合、それを証明することができないのです!
このような修正前の記録は、支援経験を積めば積むほど起こしがちかもしれません。
経験を積んだ支援者であればあるほど、「ムチとは?」と尋ねるのがむしろ当然の介入になり、それをわざわざ記録に残すという意識が薄くなってしまう可能性があるからです。
もしこのケースに本当に虐待があった場合、修正前の記録の提出を求められたとしたら、この記録者は「不十分な介入しかしていなかった」と判断されてしまいます。
また、修正後の記録は【経緯は不明で、再発予防が困難】【息子は介護で疲弊している】という記述があり、安全確保が困難であることや、息子が介護の資源として機能しないことが見立てられています。
このように、「どんな見立てをしたか」は、支援者の頭の中だけに留めるのではなく、きちんと記録として外在させる必要があるのです。
「伝わる記録」を書くためには、事前に何を書いて何を書かないかを決めておくことが有益です。
それをしないと、無限に書くことが増え、また、余計なことを書いて自分の首をしめるリスクをいたずらに高めるだけだからです。
本書では、「情報」「判断」「対応」の三つを書くことを提唱しています。
記録を書く際の最も有名なフォーマットの一つがSOAPかと思いますが、それにこの三つは対応しています。
SOAPとは、S(Subjective:主観的情報)、O(Objective:客観的情報)A(Assessment:アセスメント、見立て)P(Plan:計画)を指し、前半の二つ(SとO)が「情報」、Aが「判断」、Pが「対応」です。
Sは利用者の主観です。支援者の主観ではありませんので、注意してください。
また、事実かどうかまだ特定できていない情報もSです。例えば、利用者が「いじめにあっています」と言ったとして、それがまだ事実として判断できない場合はSです。
Oは利用者の客観です。ですから、血液検査などの情報はもちろん、支援者が観察したデータ(黒髪の天然パーマで、黒ぶち眼鏡をかけている、など)もOです。
SとOは時として「本人から聞いたことか、それとも事前情報として知っていたことか?」と混乱することがありますが、この場合はそれほど厳格に分ける必要はないようです。
ただ、SとOにギャップがある場合はその限りではありません。
ものすごくつらそうにぼそぼそと「調子いいです…」と答えたとする。この場合もSは「調子いいです、と答えた」となるが、Oは「つらそうな表情でぼそぼそと語っていた」となり、ギャップがある。
P25
このようなギャップが生まれる背景には、利用者の問題意識や病識が無い場合と、利用者が何らかの理由で嘘をついている場合があります。
これは貴重な情報になり得ますので、しっかりとSとOを区別できることが有益です。
Aは、支援者がなぜその対応がベストだと思ったのかについての記述です。支援に慣れれば慣れるほど、その支援の動きが自動化されてしまうので、注意が必要なところです。
Pは今後の計画だけではなく、面接中にやった対応についても記載します。
これらを意識すると、「伝わる記録」になるでしょう。
ただ、そのためには練習が必要です。
その練習をする上でも、本書は非常に有益です。というか、本書は練習することがメインであると言っても嘘にはならないでしょう。
上記したSOAPを一つの雛形として意識した上で、3章に記載されている記録事例とその解説をひたすら読み込んでいくと、とてもよい練習になります。
記録事例の数、なんと驚きの74!
修行僧のようにひたすら修正前の記録と、修正後の記録を照らし合わせながら読み進めていきます。
最初の1回は通して読み、
次は修正前の記録を読んで自分なりに修正し、
三回目は修正後の記録を読んで適切な文章を自分に刷り込ませるような読み方をする、
このような読み方をすると、だいぶ記録の書き方が上達するのではないかと思います。
後で大変な目に遭わないよう、早め早めに本書にあるような記録の書き方ができるようになりたいと思います。
しかしそれは思い込みでした。
どんなに綺麗な記録が書け、分かりやすい記録が書けていたとしても、必要ない情報を書き、必要な情報が書かれていなければ、記録としての効力は半減してしまいます。
今後は「何のために書くのか」を考える際、「開示請求に応えるため」という視点も強く意識していく必要があるなと強く思い知らされました。