心理職でもできる資産形成と運用

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FP×心理Thによる資産にまつわるアレコレのお話

コンマリ本を読んだら、錬金術師になれた話

Pray, Prayer, Spirituality, Praying Hands, Hope, Life 

 

リヒト(@r2209)です。
ねぇ、ココロちゃん、「鋼の錬金術師」ってマンガ知ってる?

 

知ってますよ!私の大好きなマンガの1つです!
一話から最終話まで繋がる1つの大きな物語の構成も凄いですけど、登場人物の心理描写が何より凄いですよね!

 

いやー、ホントそうだよね!

 

ところで、ハガレンがどうかしたんですか?

 

いや、それがさ、コンマリさんの本を読んだら僕も錬金術師になれたから、今日はその話をしようと思って。

 

は?全く話の流れが見えないんですけど???

 

 

コンマリとは?

今日は、ちょっといつもと違う雰囲気の記事を書いてみたいと思います。

半分冗談、半分本気の記事ですので、生暖かい目で最後まで読んでいただければ幸いです。笑

 

ところで、この記事の前提の1つなんですが、

皆さん、近藤麻理恵さんってご存じですか?

 

もしかしたら、「コンマリさん」と言った方がピンと来る人が多いかも知れません。

 

コンマリさんは「片づけコンサルタント」として活躍しておられる方で、著書『人生がときめく片づけの魔法』は、世界で累計1100万部の大ベストセラーとなっています。

 

特にアメリカでの知名度はすさまじく、「KonMari」と言う言葉が片付けを意味する言葉として定着しているそうです。

 

 

これだけの社会現象を引き起こしているコンマリさんの片付けメソッド。

さぞ特殊なものかと思われたかもしれません。

 

僕も先述した『人生がときめく片づけの魔法』を読むまではそう思っていました。

 

 

しかし、そのメソッドは非常にシンプルで、たった二つの原則からなっています。

 

その原則とは、

 

「モノを捨てる」

「収納場所を決める」

 

 

たったこの二つだけです。

 

たったこの二つですが、この二つがとても凄いのです。

 

どう凄いのか。

 

 

僕はこの本を読むまで、まったく片付けに興味はありませんでした

なんだったら、欲しい物がすぐ手の届く場所にあるくらい散らかっている方が快適だとさえ思っていました。

 

そんな僕がこうやってわざわざ時間を割いてブログを書きたくなるくらいの衝撃を与えてくれたのです。

 

 

だって、『人生がときめく片づけの魔法』に書いてあることをそのまま実践したら、錬金術師になれたんですから。

 

 

錬金術師とは?

分かっています。分かっていますとも。

今あなたが言いたい事は

 

「何言ってんだこいつ?」

 

 

ですよね。

でももうしばらくお付き合いください。

 

 

錬金術師とは、賢者の石の生成を求めて錬金術を極めようとした人達、しかし、科学技術の発展と共に消失した人達のことです。

 

ただ、ここでいう「錬金術」「錬金術師」は、大ヒットマンガ「鋼の錬金術師」に出てくる「錬金術」「錬金術師」をイメージしています。

 

 

 

ハガレンはメチャクチャ面白いので、未読の方は是非読んでください!!!)

 

鋼の錬金術師の世界で行われる錬金術には、ある一つの大原則があります。

 

それは、

 

一は全、全は一

 

 

です。

 

鋼の錬金術師を読んだことがない方の為に、簡単に説明致しますね。

 

主人公達は、自分たちの錬金術をより強固なものにするために、ある凄腕の錬金術師の元に弟子入りを志願します。

 

しかし、その師匠は「一は全、全は一」の答えがわからない限り稽古をつけない、と条件をつけてきたのです。

 

どうしても弟子入りをしたかった主人公達は、1ヶ月間「一は全、全は一」の答えを求め続けます。

 

 

そして、1ヶ月後。

ついに彼らは答えを見つけました。

 

 

「全は世界」

「一は俺」

 

 

これが彼らの導き出した答えでした。

 

この答えは師匠を満足させるに値するものでした。

 

 

 

この真理にたどり着いたのは、あまりの過酷な環境で、足元を歩いていた一匹のアリを食べてしまったことに由来します。

 

そこで気づいたのです。

僕たち物質は全て、一つの循環を構成する要素なのだ、と。

 

 

僕が死ねば、その肉体は土に還ります。

その土の栄養を吸収し、草木が育ちます。

そこになった実を動物が食べ、その動物を他の動物が補食します。

 

そして、その動物をまた人が食べるのです。

 

こうやって僕たちは姿形を変えながら、一つの循環を常に回り続けているのです。

 

ですから、「全は世界」「一は俺」という解答は、非常に正しいものだったのです。

 

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ハガレンの主人公はアリを食べて「一は全、全は一」を理解しましたが、僕はコンマリ本を実践し、「一は全、全は一」を体感することができたのです。

 

 

コンマリ本に書かれていること

先述したように、『人生がときめく片づけの魔法』に書かれているメソッドは非常にシンプルです。

 

「モノを捨てる」

「収納場所を決める」

 

この二つだけ。

 

 

この二つの原則を守ることが「一は全、全は一」の真理への扉を開ける手続きになります。

 

 

モノを捨てる

コンマリ本の二つの原則、「モノを捨てる」と「収納場所を決める」は、必ず順番を守って実践する必要があります。

 

 

まずは「モノを捨てる」です。

 

 

モノを捨てている段階では、一切収納のことを考える必要はありません。

もちろん、新しく収納グッズなんかも購入する必要はありません。

 

モノを捨てる時にも、あるコツがあり、必ず「モノ別」に行います。

決して「部屋別」ではありません。「モノ別」に行うことが重要なのです。

 

 

モノに手を出す時にも、順番があります。

まずは衣類、その後は本。それが終わったら、書類、小物類、思い出の品の順番です。

 

コンマリさんの長年の経験から、この順番で整理するのが最も難易度が低い事が分かったそうです。

 

確かに、いきなり思い出の品からやっても、感傷に浸ってしまうばかりでいっこうに片付けは終わらないでしょうね。

 

 

片付けるべきモノが明確になったら、一旦それを全て1個所に集めます

 

 

自分の部屋にある服も、リビングにある服も、玄関にある服も、全てです。

なぜ1個所に集めるのかというと、どのくらい自分が保有していたかを視覚的に明らかにするためです。

 

後から「あ、あの服もあった」と気づくこともあるかもしれません。

その場合は、その服はどうするのでしょうか?

 

コンマリさんの答えは明確です。

 

後から気づくような服は、有っても無くても大して違いは無いのだから、必ず全て捨ててしまいましょう。

 

 

僕は基本的にファッションにさほど興味がありませんので、それほど服の数は多くないはず。

ですが、それでも1個所に集めてみてビックリしました。

 

結構な量の服があったからです。

 

中にはタンスの奥にしまって存在すら忘れていた、全く着ていない服までありました。

 

 

1個所に集め終わったら、それらを一つ一つ手に取ります

 

ここがコンマリ流片付けの真骨頂なのですが、モノを触っている時の感覚に敏感になってください。

 

触ったときに、ときめくか

 

このことを感じて欲しいのです。

 

僕たちは、実は大してときめかないものであっても、所持したままにしてしまっているものがあるのです。

 

「これ親からもらった服だ」

「昔の彼(女)とデートした時に買った服だ」

 

など、着もしないのに何となく理由をつけて持ち続けてしまっているのです。

 

でも、よく考えて見てください。

 

 

「あなたは大してときめかないものに囲まれて生活していたいですか?」

 

 

もちろん、「着ないけど捨てるのはもったいない」と思うこともあるでしょう。

 

しかし、それは本当にもったいないことなのでしょうか?

 

ちょっとアニミズム的な子供だましの発想ですが、少しだけ想像してみてください。

 

もしあなたが持ち主に着ることもされない、存在すらも忘れられた服だとしたら?

 

どうでしょう?

とっても嫌な気持ちになりませんでしたか?

 

 

そんな気持ちにさせてしまう事の方が、むしろもったいないのではないでしょうか?

 

 

今手にとってみてもときめかないモノも、必ず意味を持ってそこに存在しています。

その意味さえ考えてあげれば、捨てることに何ももったいないことなどありはしません。

 

「買った瞬間にときめかせてくれた」

「自分には似合わないタイプの服を教えてくれた」

 

などがそのモノの存在理由なのです。

 

その役割を終えたモノを丁寧に片付ける。これはとても尊い行いです。

 

 

騙されたと思って、ときめくかどうか手に取ってみて下さい。

そして、ときめかない、あるいはときめかないけど残しておきたい気持ちになたら、今手にとっているモノの役割を考えてあげてください。

 

もし、もう役割を終えているのなら、もうこれ以上酷使しないで、ゆっくりとさせてあげましょう。ただタンスの奥に置いておくなんて残酷すぎます。

 

 

一つ一つ丁寧にモノと向き合うと、自分にとってときめくモノだけが手元に残ります。

 

気づかれたかもしれませんが、

実は、「モノを捨てる」とは、「ときめくモノを残す」ことでもあったのです。

 

 

今あなたの目の前にあるものは、他でもない、あなた自身が主体的に選びとったモノ達ばかりなのです。

 

こうやってモノと会話してみると

なんだか、モノと自分との間に「つながり」のようなものを感じませんか?

 

 

捨てるモノに役割を与え、残ったモノに心を通わせる。

モノに命が宿った、と言っても決して大げさではないでしょう。

 

 

 収納場所を決める

さて、続いては「収納場所を決める」です。

 

モノ一つ一つに対して、定位置を明確にして収納場所を決めて下さい。

何となく「ここでいいかな」ではなく、「これはここ」と決めきってしまうのです。

 

確かに、モノ一つ一つに定位置を決めるのはとても面倒なことのように思います。

しかし、この作業は、人で言うところの「住所」を決めることと同じです。

 

帰る場所がないって、とっても不安になりませんか? 

それはモノだって一緒です。

 

 

あなたが定位置を決めるモノは、ただのモノではないことに注意してください。

 

あなたに「ときめき」を与えてくれるモノ、あなたが命を吹き込んだモノです。

 

住所を決めてあげることくらい、たいしたことじゃないと思えませんか?

 

 

これであなたも錬金術

あなたは自分の「ときめき」を基準に、残すモノを決めました。

それは命を吹き込むことと言っても過言ではない作業です。

 

 

あなたがモノに吹き込んだ命は、元々あなたの命でした。

 

今、あなたの命はあなただけのものではなく、モノのものにもなったのです。

 

 

ここで、錬金術の原則を思い出して下さい。

 

「一は全、全は一」

 

一は僕、全は役割を終えたモノとときめくモノ。

 

 

手元にあるときめくモノは、自分の命を分け与えた存在であり、自然と丁寧に扱いたいと思うはず。

住所を決めてあげたので、気がつけばそこに戻してあげているはず。

 

 

今までご紹介しませんでしたが、

実は「鋼の錬金術師」の世界には、「一は全、全は一」と同じくらい大切な原則がもう1つあります。

 

 

それが「等価交換」の原則です。

 

 

「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない

何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる」

 

 

それが、「鋼の錬金術師」の世界の錬金術における等価交換の原則です。

 

 

コンマリ流片付け術の「モノを捨てる」で捨てたモノは、何かを得るための犠牲です。

 

犠牲は、「ときめくモノに囲まれる生活」の代価です。

 

 

そう思うと、なおのこと残されたモノを大切にしないと、捨てたモノが浮かばれないような気持ちになります。

 

ときめくモノを大切にするとき、きっと自分のことを大切にしているかのような感覚になることと思います。

 

この感覚こそ、片付けの錬金術によって生成された賢者の石そのものではないか、と僕には思えるのです。

 

 

僕たちは、「鋼の錬金術師」の主人公と同じく、錬成陣なしに「コンマリ流片付け」という錬金術を使うことが出来、それによって心の中に賢者の石を生成することができるのです。

 

 

まとめ

以上、コンマリ本を読んで片づけをしたら、錬金術師になれたお話をしました。

 

 

まとめるとこんな感じですね。 

コンマリ流片付け術は「モノを捨てる」「収納場所を決める」のたった2つの原則からなっている。

 

モノの役割を考える、ときめくモノを残すという作業はモノに自分の命を分け与えることと同じ。

 

モノに命を吹き込むことは、錬金術の「一は全、全は一」に通じる。

 

モノを捨てるという代価を払って、自分の命を吹き込んだときめくモノに囲まれて生活を得ることができる。この生活をする時に心に抱く感覚は賢者の石。

 

KonMariは錬金術

 

まぁ、最初にもお伝えしたように、この記事は半分冗談のおふざけです。

 

しかし、半分は本気です。

 

「本当に自分にとって価値のあるモノって、これとこれなんだ」と分かることって、とっても素晴らしいことだと思うのです。

 

経済的に豊かになるためには、ただ節約するだけでは足りません。

本当に自分にとって価値のあるモノを選択し、無駄な浪費を抑えることが基本になります。

 

自分にとって価値あるモノは、一度モノと向き合わないと見えてこないこともあるような気がします。

KonMariは、経済的に豊かになるための最初の一歩として、大変お勧めできる選択です。