ケーキの切れない非行少年たち
非行少年達が反省することが出来ればまだ良い方です。反省する以前の問題として、「どうして反省する必要があるのか」が分からない障害が見逃されていることもあるのです。
著者はもともと精神科医をされていた方で、その後少年院で法務技官として勤務することになったという経歴の持ち主です。
ある施設で1人の発達障害を持つ一人の少年と出会い、そのことが彼の人生を変える大きな転機となったそうです。
この少年は、性的な問題があり、年齢問わず、誰かれ構わず身体を触るというこだわりを持っていました。当然、そんなことをしては大変なことになります。
そこで著者は認知行動療法によって、その性的問題の解決をはかったそうです。少年は真面目に取り組み、「もうしません」と反省の弁を述べたそうです。
その言葉に偽りはなく、著者も「大丈夫だ」と思えるような態度でした。
しかし、依然としてその少年は同じことを繰り返すのです。
そう。
認知行動療法は「認知機能という能力に問題がないこと」を前提に考えられた手法
P6
のために、少年のように発達障害を抱えるなど、認知機能に問題があるような人にはハッキリとした効果がでないのです。
しかし、現場で困るのは、まさにそういう人達なのです。
けれど、認知行動療法がそうであるように、こういう本当に困っている人達に対する治療方がどこにもないのです。
そんなとき、著者が知ったのは三重にある矯正施設(医療少年院)でした。
ここでは非行を行った発達障害や知的障害を持つ少年達が集められていたのです。
著者は藁にすがる思いでそれまで勤務していた病院を辞め、その医療少年院に赴任する選択をしたそうです。
ものすごい決断と決意ですよね!
これだけのことができる人の言葉には、やはり重みがあります。
実際に少年院に勤務することで分かってきたことは以下のことであったと言います。
病院を受診する児童・青年は比較的恵まれた子ども達であることなども知りました。
P8
このような経験から見えてきた
「非行少年達にはどんな特徴があるのか」
「どうすれば更正させることができるのか」
「どうしたら同じような少年を作らないですませられるのか」
に対する答えを、著者の少年院勤務の中で培った知見をもとに提案してくれているのが本書です。
本書タイトルにある「ケーキの切れない」というフレーズも衝撃ですが、本書には他にも衝撃的な描写があります。
例えば、Rey複雑図形の模写(その名の通り、複雑な図形を手元の紙に書き写す課題)をある非行少年にさせたところ、認知機能が正常であれば絶対にこうはならないだろうというくらい、いびつな模写をしたのです。
非行少年は、それだけ世界を歪に見ているのです。一般的な見方とは大きくかけ離れているのです。
同じように、非行少年には足し算引き算ができなかったり、漢字が読めなかったり、簡単な文章の復唱ができなかったりと、認知機能に明らかな問題を抱えている子どもが多いこともわかりました。
このことが非行の原因となっていると著者は直感したのです。
ここまで認知機能に支障があれば、反省すらできません。それをするだけの能力がまだないのです。
しかし、今までは
非行に対してひたすら「反省」を強いられてきた
P35
のです。
どうして教育機関で障害があることを発見できなかったのでしょうか?
それは、「良いところを伸ばそう」と、子ども達の不得意とすることを「それ以上させない」としてきたからです。
でも、「不得意」と「伸びる可能性はない」はイコールではありません。
そこを一緒くたにするから問題が先送りされてしまうのです。これは教育の敗北を意味します。
ですが、著者に主張によれば、たったの一日5分の工夫で、子ども達の認知機能を高めることができるのです。
ならば、それを取り入れない手はないでしょう。
著者の主張によれば、
特に自閉スペクトラム症(ASD)をもった非行少年は独特のこだわりをもっている感触があります。そのこだわりがいい方向に向けば素晴らしい偉業を成し遂げることに繋がったりするのですが、例えば“人を殺してみること”という方向に向いたなら、それを消すことがなかなか難しいことがあります。
P43
ということですが、これほど恐ろしい傾向すらも改善できるようです。
ちなみに、著者の挙げる非行少年に共通する特徴は以下の6つだそうです。
①認知機能の弱さ
②感情統制の弱さ
③融通の利かなさ
④不適切な自己評価
⑤対人スキルの乏しさ
⑥身体的不器用さ
です。⑥は+アルファのもので、小さい頃からスポーツ等をしていたら当てはまらないこともあるそうです。
上記6つがどう非行に繋がるのかを詳述がありますが、どれも納得できる説明ばかりでした。
例えば、①の認知機能には想像力も含まれるのですが、想像力が弱いと具体的な「こうすればこうなる」ということも考える事が難しいので、具体的な目標を立てることができません。ですから、行動が場当たり的なものになりがちです。
また、他の人が計画的に成果を上げた、いわゆる「努力の結晶」も理解できません。自分が計画的に努力した経験がないからです。
いずれも「確かにこういう傾向が強いと犯罪につながるかもな」という特徴ですよね。
こういった特徴を持つ子ども達には、社会面での支援が必要不可欠だと著者は考えているようです。
それにも係わらず、それが学校教育ではあまり重視されていません。あっても週1回の道徳の授業程度です。
ここが学べないと、多くの問題行動につながり、ひいては非行化していくのです。
ここの学びがないために教育は敗北している、というのが著者の主張です。教育の場でも社会面の支援が必要であろうと著者は考えているようです。
ただ、上記6つの特徴が犯罪に繋がりやすい要因になり得ることには「賛成」ですが、個人的には「学校教育の敗北」という考えには「反対」の立場です。
確かに社会面での教育は非行を予防する上で重要であることに異論はありません。
しかし、それは本当に学校で教えることでしょうか?
もちろん、学校でも学ぶ必要はあります。
ですが、本来的な目的でいえば、学校は勉強を教わるところです。
社会面は、あるに越したことはないものの、それの育成は学校での主目的ではないのです。
著者は、問題行動を起こしている子どもへの支援策を考えて貰うワークを教育者にやらせると、「子どものいい所を見つけてあげて褒める」や「話を聞いてあげる」が出てくることや、「自尊感情が低い」という評価がいつも出てくることに違和感を持っているそうです。
いつもの「おきまりのパターン」だからです。
しかし、学校に何でもかんでも要求することも、おなじく「おきまりのパターン」ではないでしょうか?
もう学校の先生方はこれ以上ないくらい疲れきっていると思います。
何でもかんでも学校の求めるのは、そろそろ辞める必要があると僕は思います。
学校にこういったことがらを求めるのではなく、学校が負担にならないように、何らかのスクリーニング機能を持たせる方がよいのではないかと、僕は思うのです。
もちろん、そのスクリーニング機能を担うのは学校の先生ではありません。僕ら支援者の役割だと思います。
…とまあ、思うところはあるのですが、それを学校がするか、他の施設でするかはいったん置いとくとして、とにかく話しを本書の内容に戻しましょう。
著者は社会面を含む、学習面、身体面の3つの機能向上のためのトレーニングとして、新しい治療教育を紹介しています。
それが、コグトレです。
コグトレは、認知機能を構成する5つの要素(記憶、言語理解、注意、知覚、推論・判断)に対応する、「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニングからなっています。
P161
というものです。
様々なものがあるようですが、一例は「感情のペットボトル」です。
感情のペットボトルは500mLのペットボトルを複数用意し、そのペットボトルに色々な感情、「くるしい」「かなしい」などを書き、水を入れます。
ただしちょっとした工夫があり、「うれしい」には水を入れません。また「いかり」だけは2ℓのペットボトルに水を入れます。
そして、リュックサックのような大きな袋にペットボトルを入れ、子ども達にそれを背負ってもらうのです。
この作業は「気持ちを溜め込むとこんなにしんどい」ということを体験的・身体的に理解してもらう効果があります。
その後、1本ずつペットボトルを出していくと、しんどさが緩和します。気持ちを表現して吐き出すことの疑似体験です。特に「いかり」の感情がなくなったときの効果は抜群でしょう。なんせ2ℓ(2㎏)ですからね。
「いかり」(水が入った2ℓのペットボトル)の処理の仕方も学びます。相手に投げつけたら相手が怪我をするかもしれませんが、そっと渡せばそうなりません。
こうすることで、「いかりを表現してもいいけど、表現の仕方には気をつけよう」ということを学習できます。
このように、具体的なワークが複数あるのがコグトレの特徴です。
コグトレの内容を知っていると、検査所見をより役に立つものにすることが出来そうです。
本書で著者が述べているように、心理士が検査を取ってその所見を書いても「〇〇の傾向がある。××の能力を高める必要がある」というような記述の仕方がほとんどで、僕もそういう所見を複数見たことがあります。
しかし、「その××を高めるためには何をしたらいいか」は書いていないことがほとんどなのです。こういう所見はあまり意味がありません。
その点、コグトレは非常に具体的ですので、所見作成に参考になる方法が見つかることと思います。
検査を取る仕事をしている人は、是非コグトレについて学び、具体的な対処方法まで所見に書いてあげられるようになれると良いかと思います。
しかし、障害があるということは支援を先に受けるべき存在だったということであり、障害があることに気づかれないまま、犯罪に手を染めるまでになってしまったという現実は、支援者の怠慢の現れであると思います。
僕自身を含め、これは全ての援助者が反省しなければならないことでしょう。
本書には、障害を持つ子ども達が将来犯罪を犯さないための予防策について書いてあります。しかも、一日5分でできてしまう非常に簡単なものです。検査所見を書くときにも具体的な支援策として記載することができるものも多くあります。
子どもに係わる領域や司法領域で勤務していたり、検査所見をまとめる仕事に就いている方にはお勧めの一冊です。