マインドセット「やればできる!」の研究
「自分はこうだ」と思い込むと、それ以上成長できなくなる危険があります。自分に対する見方を流動的なものにする方がベターと言えそうです。
注意:記事にしましたが、僕はこの本の購入をオススメはしません。
同じ論理(「硬直マインドセット」は成長を阻害するが、「しなやかなマインドセット」は成長を促すのだ、という論理)をエビデンスが示されないまま繰り返しているだけだからです(「ある実験では〜〜」という記述はあるものの、それがどこでどんな規模で行われた実験かわかりません。引用文献のリストがないのです)。従って、購入するほどではないと考えます。
ただ、「しなやかなマインドセット」という考え方は非常にすばらしく、日常やカウンセリングにも活かせそうですので、マインドセットの概念については知っておいて損はないと思います。
以上を踏まえてお読みいただければ幸いです。
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早速ですが、次の知能にかんする考え方の中で、あなたの考えにもっとも近いものはどれでしょうか?少し考えてみてください。
①知能は人間の土台をなすもので、それを変えることはほとんど不可能だ。
②新しいことを学ぶことはできても、知能そのものを変えることはできない。
③知能は、現在のレベルにかかわらず、かなり伸ばすことができる。
④知能は、伸ばそうと思えば、相当伸ばすことが出来る。
いかがでしょうか?
本書によれば、①と②を選んだ方は「硬直マインドセット」の持ち主である可能性が高く、
一方、③と④を選んだ方は「しなやかなマインドセット」の持ち主である可能性が高いようです。
ここでいう、「硬直マインドセット」とは
自分の能力は石盤に刻まれたように固定的で変わらない
P13
という信念であり、
一方、「しなやかなマインドセット」とは
人間の基本的な資源は努力次第で伸ばすことが出来るという信念
P13
です。
このどちらの信念を持つかによってその後の人生に大きな差がでてくるそうです。
硬直マインドセットの持ち主にとって、努力は無駄なことですし、できないことを過剰に恐れています。「できない」ことはずっとできないことを意味するからです。それは自己評価にも関わってきます。
そのため、常に成功できることだけに終止します。そして「できると思っていたことができた」ら、「やっぱり!」と感じるので、それが過剰な優越感になります。
対して、しなやかなマインドセットの持ち主にとって努力は自分を成長させるのに不可欠であり、出来なかったことが出来るようになったことに優越感を感じます。そのため、チャレンジはむしろ彼らにとって喜ばしいことなのです。
硬直マインドセットの人にとって新しいことは危険であり、しなやかなマインドセットの人にとって新しいことは成長のきっかけなのです。
もちろん、しなやかなマインドセットの人にとっても、硬直マインドセットの人と同様に失敗は怖いことです。
しかし、
それで「失敗者」になってしまうことはない。彼らにとっての失敗とは、それに立ち向かい、それと取り組み、そこから教訓を得るべきものなのだ。
P48
確かに、同じ事柄に対してこれだけ異なる捉え方をしていたら、どんどん差は膨らんでいくことでしょう。
皆さんは冒頭の質問、どれを選びましたか?
僕は③と④を選びました。
本書の基準からすれば、僕は比較的「しやなかなマインドセット」であると言えそうです。
しかし、よくよく考えてみると、僕は他人に対してや一般論的な解答としては「しなやかなマインドセット」の観点で捉えることができるのに、いざ自分のことになるとどうも事情が変わってくるみたいです。
本書に書かれている以下のような内容を読んでハッとしたのです。
ある先行の課題に対して
「まあ、8問正解よ。よくできたわね。頭がいいのね」といってほめられたグループと「まあ、8問正解よ。よくできたわね。頑張ったのね」といってほめられたグループが
次の課題としてそれぞれ難問を解く課題を与えられたとき、前者のグループはチャレンジするのを避けました。
なぜなら、もし解けないと、その事が「解けない=頭が悪い」ということの証明になってしまうからです。
一方、後者のグループはなんとその9割が新しい問題にチャレンジしました。
ほめられる前の両者のグループに、知的な差はまったくなかったにもかかわらずです。
この箇所を読んだ時に「自分は自分のことに対しては硬直マインドセットを持っている!!」と衝撃を受けました。
僕は(こっそり言いますが)自分のことを頭がいいとちょっと思っています。
だから、試験勉強とかで解けない問題があるととても頭にくるのです。イライラしながら勉強することもあります。
根本のところでは、僕は勉強が嫌いではないので、運良く勉強をこうして続けてはいますが、大変もったいないことをしてきたなと思いました。
勉強を継続していることに焦点を当て、そこに誇りを持てばイライラすることなく勉強が続けられていたはずだからです。
この気づきを今日得られて、とてもよかったと思いました。今日がこれからの人生で一番若い日ですので、気づいたときから改善すればよいのです。
この発想(「頭がいい」と褒めない方がいい)は、教育や子育てをしている方にも、とても大切なことかもしれませんね。
能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がった
P95
子どもに「あなたは頭が良い」と言ってしまうと、その子は自分を賢く見せようとしておろかなふるまいに出るようになる
P96
こうやって、硬直的なもので自己定義するようになると、その定義に当てはまらないことには挑戦しなくなったり、強引な形であってもその定義通りに振る舞おうとしてしまうので、良くも悪くもその定義からの逸脱がありません。成長が止まってしまうのです。
いえ、成長が止まってしまうならまだ良い方です。
自己定義が覆されるような体験を図らずも数回経験してしまうと、「もう自分は自分の思い描いた自分ではないのだ」と自分に失望し、何も建設的なことが出来なくなってしまう恐れすらあるのです。
皆さんにもありませんか?
「俺には才能がないから」
「もう私は年だから」
といって、やりたいことを諦めていることは?
もしかしたら、それは硬直マインドセットのためにそう思ったのかもしれません。
どうせ1回きりの人生なら、行き着く先まで成長したいもの。
しなやかなマインドセットに変えれるなら変えたいものです。
では、この「硬直マインドセット」をどうしたら「しなやかなマインドセット」に変えていくことができるのでしょうか?
すぐに思いつくのは認知療法のような技法です。
自分が「何をやっても無駄だ」といった硬直マインドセットに基づく世界の見方や捉え方をしていることに気づいたら、その見方や捉え方、つまり認知に対して様々な角度から検討を加えていくのです。
なんだか、これでうまくいきそうな気がしますよね?
ところが、本書によればマインドセットは認知療法によっては変わらないそうです。
なぜなら、
その人の根底にある大前提–––人間の資質は変えようがない–––が変わらないからである。
P307
ではどうするか?
一つ目の方法は、脳が成長するということを視覚的に訴えることが効果的なようです。
つまり、学習や経験を積むことで神経回路網に新たな結合が生まれ、脳が変わっていく様子を移した写真を見せるのです。
確かに言葉で「変われる」と説得されるよりも、脳が実際に変わって行く様を見せられた方が説得力はありそうです。
とはいえ、こんな写真は普通用意できません。
そういった場合は、「今日はどんなことを学んだ?」「何か勉強になるような失敗をした?」「今日はどんな努力をした?」などという会話を誰かとすると良いみたいです。
これは、その日一日が終わる時に自分に問いかけても良いかも知れませんね。
心理カウンセラーとしてクライエントをカウンセリングしているとき、僕は似たようなことをしているように思います。
クライエントが何か少しでも達成するようなことがあれば、必ず「どうしてうまくいったんだと思いますか?」と尋ねるのです。
この質問に答えてもらうプロセスこそが、「しなやかなマインドセット」にしていくことに貢献できている側面があったのかもしれません。
皆さんは、今日どんな挑戦をし、そこから何を学びましたか?
「こうなりたい自分」と今の自分は必ず解離があります。その解離は人に居心地の悪さを与えます。それを認知的不協和と読んでも良いし、劣等感とよんでもいいでしょう。とにかく気持ち悪いのです。
その気持ち悪さを解消する方法は二つあります。一つがその理想を諦めることです。ただ、この方法では今の自分から一歩も成長できません。
二つ目は、「自分は成長できる」というマインドを持った上で、「こうなりたい自分」になるように努力し続けることです。そうすると、少しずつですが理想に近づき、居心地の悪さも少しずつ減っていくでしょう。
どちらの方法をとるかは、マインドセットを選べたのと同じように、自分で選ぶことが出来るように思います。